そして、次の日、月夜と夕香は私服で外に出歩いていた。月夜は長期任務に対しての報
酬と四日間の休暇を貰っていた。そして、今日は月夜の誕生日なのだ。祝ってもらった夕
香が見逃すはずない。
「月夜、どこ行く?」
 珍しく夕香は色あせたジージャンに丈の長い暖色の明るい色のスカートをはいて月夜を
振り返った。長い胡桃色の髪がその動作に合わせて翻ってその小さな背に踊る。
「そうだな、どうしようか」
 そう訊ねる月夜の声がどうしようもなく暖かくてやさしくて夕香は嬉しくなって微笑ん
だ。
「どこ行こう」
 夕香はそう言うと首をかしげた。長い下り坂の銀杏並木は青色から黄色になりかけてい
る。冷たくなった風に髪を攫われて靡いた。
「そんな寒くないところがいいか?」
「ううん。平気」
 そう言うと月夜の腕に取り付いた。月夜は一瞬困ったような顔をしたがそっとその体を
引き寄せて手を取って半歩前を行った。
 温かくて大きな手が夕香の冷え切った小さな手を捉える。握られる温かさが照れくさく
て俯いてそっと握り返した。
「じゃあ、どこがいいかなあ」
 そう思案する月夜の顔が明るくて夕香はじっと見ていた。月夜はその視線に気づいて夕
香をちらりと見たが夕香は慌てて目をそらして頬を染めた。
 どこまでもぎこちない二人はしばらく黄緑色の銀杏並木を歩いていた。
「遊園地でも、行くか?」
 しばらくして月夜が聞いてきた。夕香はその言葉に強く頷いた。幼少期を迷処で過ごし
ていた故にそういう娯楽施設に行ったことがないのだ。
「もしかして、行った事ないのか?」
 聞いてくる月夜の言葉に夕香はコクンと頷いた。
「月夜は?」
「母さんと親父と一緒に、いつだっけなあ」
 遠い想い出を探るように目を細めて月夜は努めて微笑みを作った。
「小学一年生のときに行ったかな」
 その声が穏やかで逆に驚いた。でも握ってくる力は強い。夕香はそうと頷くとその力に
応えるように握ると軽く揺らした。月夜も揺らし返してそのまま二人は何も喋らずに路を
歩いていった。
 そして数十分が経って二人は遊園地にきていた。入場券を買って入ったら夕香は幼い子
供のようにはしゃいだ。
「わあ。すごい」
 目をきらきらとさせて乗り物を見る夕香に月夜はそっと微笑みを返して何から乗るかと
思案した。
 それからの二人はとても楽しそうに乗り物を巡っていた。そしていつの間にか日が暮れ
ていた。家族連れはもういなくなり月夜達と同じカップルがそこに遊んでいた。
「そろそろ出ようか」
 月夜がそう言うと夕香はひとつの乗り物を指差した。カップルにはお馴染みの観覧車だ
った。月夜はそれを見てさてどうするかと無表情の下で考えた。でもいいかと、思って頷
いて二人でそこまで行ってチケットを貰って観覧車の中に入った。
「これで終りだぞ?」
「うん」
 夕香は乗れただけでも満足なようで窓から見える夜景に目をきらきらとさせている。
 そんな夕香を見て月夜はつい後ろから抱きしめてやりたいと思ったが窓際だ。普通の人
に見られる。そんな思いを抱いて夕香を見ていた。
「ねえ、月夜、あれって」
「東京タワーだな。おまえ、ここらへん遊び歩いた事ないのか?」
 その言葉にこくりと頷く夕香に月夜はそうかと頷いてそっと夕香を後ろから抱き締めた。
「月夜?」
「ここだったら誰にも見られないだろ」
 低くかすれたその声に微かに身を震わせて夕香は今更ながら自分たちが置かれている状
況を理解した。今二人は密室にいるのだ。
 月夜は夕香の髪に頬寄せながらふと考えた。自分たちはこれからどうなるのだろうと。
もしかしたら任務で殉職したなんてこともあるだろうが今はそんな事考えたくなかった。
ただ、前はイメージできなかった幸せな家庭という物を漠然としながらしっかりイメージ
できるようになった自分に驚いた。
「月夜」
 回された腕を抱くようにして夕香はその腕に頬を寄せた。夕香は今、見ている夜景の美
しさと背中に触れる体温に安らぎと心地良さを感じていた。
「そろそろ離れるな」
 そう言う言葉と共に月夜は夕香の背から名残惜しげに離れた。一瞬もっと強く抱きたい
と思ったが、それはまた今度だ。こんな時、自制できる自分が疎ましく思うのだ。
「綺麗だったね」
 手を伸ばせば触れられる距離。残る時間は十分を切っている。踏み出す何かが欲しい。
「ああ」
 触れられなくても感じられるぬくもり。暖かなその言葉に夕香はふっと微笑んだ。ただ
一言でも感じられるその温もりに何故かとても嬉しかった。
 目を伏せて夕香は思い切って月夜の肩に頭を預けた。その行動に月夜はどきりと体をこ
わばらせたがやがてそっと肩を抱いた。
 触れ合う温もりがとても温かい。観覧車の中で二人は互いがここにいるということを確
認しあっていた。
 やがて観覧車が止まった。二人は体を離して自然な動作で手を繋いだ。月夜の冷たい手
が夕香の暖かい手を包んだ。目を合わせずに二人は歩いていった。
「観覧車の中、寒かったね」
 夕香が秋風に靡く髪を押さえてポツリと言った。その横顔を月夜が見下ろしている。
「ああ」
 でも、温かかった。そんな言葉が隠れているような気がした。やさしいその声に、しっ
かりとした質感に、夕香は微かに手を振った。月夜からも振りかえされて二人を包む空気
がずっと軽くなる。



←BACK                                   NEXT⇒